病気と自己責任
前回,禁煙補助薬”チャンピックス”による意識障害について書きましたが,米国の添付文書には,WARNINGS AND PRECAUTIONSの項目に,「患者はチャンティックス(米国での販売名)による禁煙が自分にどのような影響を及ぼすかを把握するまで,運転や機械操作など事故の恐れのある行為には注意してください。」とあり,欧州の添付文書もほぼ同じような内容です。患者さんに必要な情報を提供した上で,服用するかどうかは自己責任で判断して下さいということで,文化の違いがよく表れていると思います。
欧米では,自分の行動は自分の意志で決めるものであり,そのため,自分の行動に対しては自分で責任を持たなければいけないという自己責任論があります。どのような文化的な背景でこうなったかは分かりませんが,生活の隅々までこのような考え方は浸透しているようです。なでしこジャパンの協調性の良さに対して,欧米のチームは自分が納得するまで動かないので監督は大変だという趣旨の発言を佐々木監督がしていました。
日本でも2004年のイラク人質事件の頃からだと思いますが,個人の行動に対する自己責任がよく問われるようになりました。
生活習慣病は,その名のとおり生活習慣が発症,進行に関与している病気ですが,病気についての自己責任はどう考えればよいのでしょうか。日本は相互補助の健康保険制度が発達しており,病気にかかった際の医療費は一部の自己負担金ですみます。生活習慣は,仕事などで制限される部分もありますが,食事,運動,喫煙など,多くが自己責任の範疇です。つまり,体に悪いと分かっていても習慣を変えられずにかかった病気の医療費を,他人が負担している訳です。
健康についての自己責任は,例えば喫煙者では生命保険の保険料が割り増しになるなど,病気が発症する前は,考慮されるようになってきましたが,いざ病気になった場合には,平等に医療を受けられ,差別されることはありません。命の重さを考えると当然のことですが,同じような生活をしていても病気になる人もいればならない人もいるなど,もって生まれた素質にまで自己責任を負わせるのは酷だとも言えます。また,実際問題としても,生活習慣病の多さを考えると,ここで自己責任論を持ち出すのは,よい医療が受けられずに病気で働けない人があふれ,社会が立ち行かなくなる危険性もあります。
個人は唯一無二の存在であり家族や社会にとってかけがえのないものです。より良く生きる手助けをし,病気になった時には速やかに軌道修正できるような医療を提供したいと思います。
禁煙補助薬の添付文書から,いろいろ思いをめぐらせてしまいました。